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2015.05.12

掛川城に行ってきました

掛川城は、東海道新幹線の掛川駅から徒歩7分の所にあり、新幹線の車内から見ることができます。城は高い丘の上にある「平山城:ひらやましろ」という形態に分類される城です。天守閣は、平成6年に木造で再建された天守閣です。この城には江戸期末に作られた二の丸御殿があります。日本全国で、残存している御殿は、二条城(京都)の二の丸御殿、高知城(高知県)の本丸御殿、埼玉県川越の喜多院(江戸城本丸御殿を移築)、川越城本丸御殿を含め5つで、かなり貴重なものです。
歴史的に特筆すべきことは、関ケ原の合戦の直前にこの城の城主であった山内一豊が下野の小山の陣から石田方と対決するため東海道を西上した徳川軍に城内の兵糧を含め城を徳川軍に提供したことです。合戦の後、この功績を認められた掛川5万石余の山内一豊は徳川家康から土佐1国24万石を賜ることとなりました。いわゆる出世城です。

掛川城の再建天守閣掛川城の再建天守閣

二の丸御殿からの天守閣の眺め二の丸御殿からの天守閣の眺め

本丸からの二の丸御殿の眺め本丸からの二の丸御殿の眺め

2015.05.12

小田原城に行ってきました。

小田原城は、北条氏5代の城として知られています。城は、北条早雲(伊勢新九郎長氏)が
大森氏の居城であったものを計略により奪い取ったものです。その後城は拡張され、豊臣秀吉による小田原攻めの際には日本屈指の大城郭となりました。現在みられる石垣づくりの城は、徳川家の家臣(譜代大名)が修築したものです。北条氏時代の本丸(城の中心)は現在の場所よりは北側となっています。北条氏時代の総構(城のもっとも外側の堀)は徳川氏時代には、取り壊されていますが、一部は現在でもみることができます。上杉謙信、武田信玄に取り囲まれても落城しなかった名城です。
場所は小田原駅から徒歩10分程度で、天守閣は新幹線のホームからでも見えると思います。

2015.04.17

昨年の手根管症候群の手術件数

昨年の手術件数をお知らせいたしましたが、手根管症候群に対する鏡視下手根管開放術は、87件ではなく103件でした。訂正いたします。

2015.04.01

昨年の手術数

当院が開院してから約2年がたちました。ここで昨年1年の手術の件数を調べてみました。手根管症候群に対する鏡視下手根管開放術は87件、ばね指に対する腱鞘切開術28件でした。
ちなみに拘縮肩いわゆる四十肩,五十肩に対する非観血型関節授動術は64件、手指授動術14件でした。  

2015.03.11

鏡視下手根管開放術

当クリニックが開院し1年10ヶ月が過ぎました。一昨年の夏頃、クリニックの諸業務になれたあたりから手根管症候群に対する鏡視下手根管開放術を開始し、一昨年末から週2回程度行える様にいたしました。手術時間は長いものでないので1日何回でも行える心意気なのですが、内視鏡の機器の一部は、ガス滅菌をという時間と手のかかる滅菌が必要となるため、安易に数を増やすことが出来ません。徐々に体制を改良し、現在、数3回程度、この手術が行える様になりました。2014年末までには、100例以上の手術件数となりました。当クリニックで開放術をお受けいただいた患者様には大変感謝しております。

2015.03.01

駅前連絡通路に雨よけが作られました。

当院は相模大野駅から徒歩3分程度の距離で、駅の改札階からボーノウォークと呼ばれる連絡橋を通して来院可能です。最近、駅前の連絡通路上に新たに天蓋が作られたため、雨の日でも傘をさすことなくほぼ雨に濡れず来院が可能となりました。

2014.12.08

クリニックへの近道

当院へのアクセスはホームページでご説明しておりますが、別の近道が有ります。ボーノ相模大野サウスモール2階の駅側にあるタリーズコーヒー入り口を入ると正面にエレベーターが有ります。これで4階のクリニックフロアーに行くことが出来ます。エレベータ内にもクリニック名が表示されています。ご来院の際にはお使いください。通行は自由です。

2014.12.04

クリスマスイルミネーション

11月からボーノ相模大野のモ―ル入口にイルミネーションが飾られました。2週くらい前から気温も低下し年末の様相を呈して来ました。

2014.10.24

竹田城に行ってきました。

今年の夏、兵庫県の竹田城に行ってきました。近年、日本のマチュピチュと呼ばれ観光客が急増している城跡です。実はこの城、江戸時代に入る前に廃城(使われず取り壊された城)となっています。この城跡は、南米のマチュピチュ(インカ帝国の都市の遺跡)の様に高い山の上に立派な石組み(石垣)が築かれ、特に城跡の下に雲海が広がる時の美しさで知られています。

通常、廃城となった城の石垣は他の築城工事のために持ち去られることが多いのですが、城が高い山の上に築かれたため他に転用されなかったものと考えられます。石垣は大変立派で安土城と同じ穴太積みの様に見え、建設費がかなりかかったと推定されますので、羽柴氏(後の豊臣氏)が築いたのではないでしょうか。

訪れた日はあいにくの雨でしたが、やはり大勢の観光客がいました。

2014.05.13

石垣山一夜城跡に行ってきました。

ゴールデンウィークのお休みに石垣山一夜城跡に行ってきました。
この城は、豊臣秀吉による小田原攻めに際し、小田原城を見下ろす笠懸山に築かれた陣城です。城攻めが終わると用いられなくなったため、あまり城の構造は残っていませんが、現在でも石垣の跡は随所に観られます。一夜にして築かれた一夜城とはいうものの実際はのべ数万人を動員し80日程度かかって完成したとのことです。このような高い山に石垣造りの城を築いた天下人の動員力には感服されます。
よほどの城好きででなければ、訪れることはないかと思いますが、城跡のすぐ前に広い駐車場を持ったレストラン「一夜城 Yoroizuka Farm」があり、現在ではこちらの方が、ドライブ及び観光スポットとなっているようです。わたくしも家族づれでケーキをいただいてきました。

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